福島から京都に避難して

3.11の原発事故で、福島から大阪、そして京都に母子避難しました。その体験を伝え歩いています。

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ある避難者の記録、福島で。

二年ぶり?に近所のパン屋さん(麦畑)に行ってみた。
働いている方の顔ぶれが変わっていなかった。懐かしくお会いできた事が、とても嬉しく思った。しかし、「ここにも、福島に閉じ込められている人々がいると思う」と、とても複雑な気持ちになった。

原発事故前、休日の朝は、家族四人と一匹で、お散歩がてら、美味しいパンを食べにいったものだ。夫と私はコーヒーと共に、のんびりした。我が家の平和で幸せの象徴だった麦畑。
我が家の成長と共に歩んできてくれたようにも思ってしまう。

そこにあったシルクジャスミン(観葉植物)は、まだ健在だった。今年の春にはまた、あの白くて可憐な花を咲かせるのだろうか・・・・・。
子ども達が一緒じゃなかったせいか、とても殺風景に感じた・・・・・・・。

後で思い返してみると、いわさきちひろ・・・さんじゃないけど、良く似た作風の地元の不動産屋さんが描いた可愛らしい絵が外されていたのだ。その不動産屋さんは我が家の土地の売買の時、仲に入ってくれた、不動産さんだ。

私達に呪文をかけるかのように、同じ言葉を何度も何度も繰り返して、私達の気持ちを固めてくれた不動産屋さんだった。あの方はお元気だろうか?

あんなに居心地の良く、心が暖まった麦畑・・・・・何か落ち着かない空間になってしまった。

悲しい・・・・・・・。


家から数十メートル離れた所にピンク色の保育園があった。原発事故前「認可保育園にする為に、増築して設備を整える」と保育園のオーナーに聞いた事があったけど、今回、増築をし始めていた。しかも、今まであった建物より大きいようだ。

福島では、まだ幼稚園の需要があるという事なのだろうか・・・・・?

その建築現場は、以前は田んぼで、幼稚園のオーナーの持ち物だった。
我が家の玄関前の田んぼも合わせ、春には保育園の子ども達が田植え機にのせてもらって、農業体験をしていた。秋にはコンバインに乗せてもらい、収穫体験・・・・・。
原発事故後は、さすがにしてないのかな?




閑静な住宅街で、何でも揃っている土地ではあったが、本屋さんが無く、度々、車で図書館に出掛けて何十冊も本を借りて、子ども達がいつも絵本を読みふけっていた・・・・・。

私達、夫婦は出逢ったその日から毎日、婚約期間中も含め、ケンカをしない日は、無かったかもしれないが・・・・・・・

本当に幸せだった。

大抵、家族四人が揃っていた。

半年振りに会った父親に、抱き寄せられ、このうえない笑みを浮かべた我が子・・・・・・・・
私はその笑顔を決して忘れない。

そして、その時の夫の、やはり、この上ない幸せそうな微笑みも・・・・・・・・・決して忘れない。


もし、夫が避難して、マイホームの行く末が決まったとしても、私の心に安堵感が一杯に拡がる事は無いだろう・・・・・・・。


我が家から麦畑に向かう途中、ほんの数分歩いた所の右側に、いつの間にか公園が出来ていた。
原発事故前、公園に行くのに私達は、いつも軽く25分位歩いていた。

私達が、この地に越してきた時、「すぐ近くに公園が出来る予定だけど、いつ出来るか分からない」と近所の方が言っていた。
そして、9年以上の月日が流れ、原発事故後、我が家から5分とかからない所に公園が出来た。今頃!・・・・・・・

「福島は、安全だ」とアピールする為だろうか?

その公園で、ひと組の親子が、マスクもせずに遊んでいた。

外で遊ぶ子ども達は、殆どいないそうだ。

このままでいいはずがない。

先に避難できた私には、やる事があるのだと思う。
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  1. 2013/03/25(月) 12:12:27|
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