福島から京都に避難して

3.11の原発事故で、福島から大阪、そして京都に母子避難しました。その体験を伝え歩いています。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

最近の短いお話し会の原稿の抜粋①

私達母子三人は郡山市から関西に自主避難させて頂いています。

 

原発事故後、放射能予測システム、スピーディーが働き、日本のアチコチに放射能が降る事を東電も、国も知っていたにも関わらず、私達国民に全く教えてくれませんでした。誰も私達を守ってくれなかったのです。

 

被災地に残された人々は放射能が降っているのも知らず、買い出し、水汲み等に何日も、何時間も並び続け、放射能が降った畑の農作物を食べ、みんな知らない間に被曝してしまいました。

 

そんな中で、チェルノブイリの原発事故で放射能の恐ろしさを学んでいた人々は、地震の後、直ぐに逃げていた人が多いのです。

 

原発事故の後、福島は勿論、関東でさえも、水道水が放射能 で汚染されました。

ペットボトルの水を買う事も出来ない地域が沢山ありました。

 

放 射能の危険性を知っている母親達は、泣く泣くその汚染された水を飲み、愛する我が子に乳を与えたのです。放射能で汚染された 水でミルクを作り、可愛い我が子に泣く泣く与えるしかありませんでした。

 

あれほど元気だった福島の実家の父は、原発事故後、私がたまに電話しても「頭が痛くて話していられない」と、すぐに電話を切ろうとするようになりました。

 

私の親戚が住んでいる福島市の信夫山の麓で高校生三人が同じ時期に、心筋梗塞で亡くなりました。

 

娘の幼稚園のママ友達は去年、赤ちゃんを産みました。しかし赤ちゃんのお父さんは間もなく、やはり心筋梗塞で亡くなってしまいました。

 

*健康被害の事*

私達は3月15日の午前中に福島空港を発ちました。同じ日の午 後に友人家族がやはり福島空港を発ちました。

友人家族が外部被曝を調べてもらったところ被曝していなかった そうです。

 

ということは、同じ日、同じ場所から同じ所に避難し た私たち3人も外部被ばくをしていないはずです。

 

にも関わらず、私達親子三人には環境が変わったからというには 説明のつかない症状が次々に出ました。

 

私はずっと風邪をひいていて、一ヶ月位で治っ たかと思ったら一日か二日で、またひいてしまうのです。

生理の量がとんでもなく多くなりました。一瞬の内に大量に流れるので、今トイレに行ってきたばかりであっても、「あっ!」と 思った瞬間には衣服が汚れ、外出先で着替えなくてはならなくな りました。

 

始めは、環境が変わり、疲れているせいだと思いました。しか し、それからも、首を傾げる事が起き続けます。

 

昨年12月頃には虫歯が沢山出来て、歯に詰めてあった金属がたっ た一週間足らずの間に6個取れました。

足の親指の爪も根元から ポロッと取れてしまいました。

私も子供達も疲れやすく、季節を問わず、家にいる時にはゴロゴロしている事が多かったです。体力が無くお風呂に入るのが苦痛で、夏でも5日間位、シャワーさえ浴びられないのです。

 

私も子供達も蚊に刺されたなどの些細な傷が半年、一年以上経っ ても治りませんでした。 関西で二度目の冬、子供達の霜焼けが恐ろしい程酷くなり、しか もいつまでも治らなかったのは何故でしょうか?福島でなった時 にはすぐに治っていました。登山家が凍傷になり、指を切り落と す事があると本で読んだ事が有りますが、「切り落とす前にはこ んなふうになるのかな?」と思うくらいに子供達の手足が真っ黒 になり、桜が咲く直前まで綺麗になりませんでした。 ここまで、酷くても、私は「おかしいな」と頭を傾げるばかりで した。

京都に避難先を変える直前には鼻血や下痢を繰り返すようにな り、突然、お腹の激痛におそわれるようになってしまいました。 外部被曝はしていなかったはずなのに・・・・・。

 

これらの症状は広島・長崎で被爆された方々、原発事故のあったチェルノブイリの方々と同じだそうです・・・・・。

 

その後、大阪から京都に引っ越し、食材を今までとは、別な所で 買うようになってから、症状が激減しました。この時、初めて、内部被曝していたことを自覚しました。

避難当初、大阪だからと安心して食べ物による内部被曝まで、頭 が回らなかったですす。大阪では安売りのスーパーでほとんどの 食材を買って食べていました。

 

しかし、今でも、上の子は些細な傷が治りずらいです。ケガをさせ るのが怖いです。

 

チェルノブイリの原発事故の時も、第二次成長 期の子供たちに、深刻な被害が出たと聴いています。今、上の子は、 まさしく第二次成長期に入っています。

 

福島の現状と中心的に闘って下さっている福島に残っておられる 方々にお聞きしても、私の子供たちのような酷い症状の出た話し は聞いた事が無いそうです。

 

せっかく、子供たちの為に、自分が犠牲になって、避難させてく れた、夫に申し訳ないです。

 

もし・・将来・・・子供たちに何かがあった時・・・私は、どう 償えばよいのでしょうか?私は、その十字架を一生、背負って生 きていかなくてはならなくなりました。

 

マクロビの先生に「体に良いもの食べていたんでしょ。症状が出るのは良い事ですよ。」と言われました。確かに、福島にいたときは、玄米と有機野菜を食べていました。

 

現在、食品の基準値は1㎏あたり100ベクレル。原発事故前であれば、低レベル放射性廃棄物として黄色いドラム缶に入れられて厳重に保管管理されていました。

 

しかも、全て測られているわけではないので、それよりもとんでもなく高い物が市場に出回る事もあります。

福島の放射能市民測定所に「内部被曝はむしろ西日本から!」と書かれているフリーぺーパーが置いてありました。西日本は被災地から離れている分、危機感が薄いので油断している所に運ばれてしまうのです。

しかも、産地偽装も昔から普通にされていました。摘発されるのは、極一部に過ぎません。

 

食べて応援する事は、生産者も含めた人々を被災地に縛り付ける事になるのではないでしょうか?

そして、それが地産地消で放射能汚染の恐れのあるものを大人も子供も被災地で食べ続ける事を強要される事に繋がるのではないでしょうか?

 

おもいっきり、内部被曝してしまった私達はこれから気を付ける事が出来ます。

 

怖いのはチビチビと内部被曝している事に気が付いていない人々です。その方々は数年後、何十年後にガンやその他の病気になったとしても、それが放射能の影響である事にさえ、気が付かないでしょう。

 

元々、西日本に住まわれていた方々に、私よりもっと早い時期に 「内部被曝のせいかもしれない? ! と思われるような症状が出た」 という話をいくつも、聴いていました。 にも関わらず、内部被曝の症状が数えきれないほど、出ていた私達でも、被曝している事に気が付かなかったのですから。

 

誰かが、内部被曝に気を付けないで食べ続け、もしも介護状態 になった時、その方々の介護をしてくれる人々は、いらっしゃるでしょうか?

 

食べると決めた方も、食ないと決めた方もその結果もたらされる未来を考え、被災地や日本を守る事=ご自分やご家族を守る事になると考え、行動して頂けたら幸いです。

政府は今のところ、国民を守ってくれません。だからと言って、知っている人だけが、内部被曝から身を守れば 良いのでしょうか?

国民の多くが、健康を害するようになった時・・・・・安全な食 料を作って下さっていた方々も減ってしまいます。

今のままでは、健康な納税者も減ってしまうでしょう。

そうなった時、私達の今までの生活は守れるでしょうか? この便利な生活は?保険料は?介護保険料は?生活保護は?特定医療に対する保護は・・・?・?・?どう なるのでしょうか?出生率も下がり元気に働ける年金などを支える世代が激減するのではないでしょうか?

もはや、皆さんご存知の通り、被災地だけの問題ではないのです。

今までも、福祉などが十分に整わず、苦しんでいた方々が一杯い ました。

 

私達が住んでいた中通りは経済の中心地の福島市郡山市などがあり人口が多い為、避難地域に指定されなかったとも言われています。


【「食品の産地表示とベクレル表示を求める要望書」へのオンライン署名はこちらからお願いします】 - 関西から食卓を考える会

http://kansaisyokutaku.blog.fc2.com/blog-entry-10.html
スポンサーサイト
  1. 2013/08/17(土) 15:44:02|
  2. 日々のこと
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<最近の短いお話し会の原稿の抜粋② | ホーム | 広島で被爆された方のお話し&あす 署名「放射能健康診断と医療補償」>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://kyania.blog.fc2.com/tb.php/313-68bc6eab
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。