福島から京都に避難して

3.11の原発事故で、福島から大阪、そして京都に母子避難しました。その体験を伝え歩いています。

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英語圏の皆様、全世界の皆様へ

被災者達の声を世界の言語に訳して世界中に発信していきたいと思っていましたが、この度、ウイメンズメッセージの皆様に英語訳して頂き、感激です。

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英語圏の皆様、全世界の皆様へ
私は福島県から、西日本へ母子避難をさせていただいている 〇〇と申します。今は被災者として、様々な現場でお話をさせて頂いております。

私はまず、福島原発事故が起きてしまったことを皆さんにお詫びしなければなりません。私達 日本国民の多くが、政府の原発安全神話を鵜呑みにしてしまいました。私は、 ウランなどを危険な物と感じながらも、原発が危険なものとは認識していませんでした。それ以上知ろうともせず原発を受け入れて生活してきてしまいました。

福島原発の事故がきっかけになり、たくさんの方とつながりながら、原発の危険性を訴えてきたつもりでしたが、大飯 原発の再稼働を止める事ができませんでした。皆様に大変な不安 とご心配をお掛けしましたこと本当に申し訳ありません。ごめんなさい。

日本国内での、食品に対する放射能の測定の仕方は、検出限界値が高すぎて意味のないものになっています。日本からの諸外国への輸出規制はどうなっているのでしょうか?どこで放射能の測定をしているのでしょうか?食品にかぎらず放射能の 危
険のない物が輸出されているのでしょうか?一度お確かめ頂ければ幸いです。


福島県、日本の現実、

日本行政では食品中に含まれる放射能の測定に関わる人々が派遣などの場合が多く、測定のための研修が不十分です。測定にかける時間も短いので検出 限界値が高くなっています。行政(無料)ではかり
放射能が不検出になった場合でも、放射能 市民測定所(有料)で時間をかけて調べると、検出されることがあります。
また食品に含まれる放射能の暫定基準は大人であれば、一キログラム当たり100ベクレルです。原発事故前であれば、100ベクレルと言えば、低レベル放射性廃棄物としてドラム缶に詰められて、厳重に保管管理されていました。今の日本では、そんな恐ろしい物が食べても良い事になっているのです。
例え、一キログラム当たり8ベクレルの物でも毎日食べ続けると、子供であれば、3ヶ月で心臓疾患の恐れが出てくるそうです。
しかも、全てが測られているわけではないので、それ以上に危険な食べ物が出回る事もあります。

にもかかわらず、農林水産省は、「全国の国公立・私立大学、都道府県、病院給食等事業者団体に対し、被災地産食品の販売等を推進する『食べて応援しよう!』の取組への積極的参加を呼びかけます。」
>>と言っているのです!!

おまけに、日本では、今でも「年金だけで生活するのは難しい」「健康保険料が高い」と言われています。内部被曝は外部被曝よりも 600倍も危険度が高いのですから、もし日本国民が病気が ちになったら、年金や健康保険料、消費税など、日本経済そのものがさらに圧迫されます。
行政が測った農産物、1000ベクレルの物が見つかり差し押さえになったと思ったら、周りの畑の農産物が、流通業者により安く買い叩かれ、サッと西日本に運ばれてしまいました。被災地から遠く離れた西日本では食べ物に関する、危機感が薄いからです。
そんな恐ろしい物は決して出荷して欲しくはありませんが、生活の為にどうする事も出来ず、流通業者の言いなりになってしまったのであろう農家の方を責めることは出来ないのでは.....と思うのです。そのような事が起きてしまう行政のシステムに欠陥があります。
福島県では農業や酪農が出来なくなった方々にも自殺者が出ています。借金をして作った、施設の壁に「原発さえなければ........保険金で借金を返して下さい。」と遺言を残された方もいます。「放射能が検出された物は、東京電力会社や国が買い取る」となっていれば、農家の方もそこまで苦しまなくて良いのでしょうに。

日本では 東日本大震災 でできてしまった放射能がれきを燃やしてしまったところ、もしくはこれからも燃やすところが あります。世界中の原発事故の例で見ても、放射能がれきを燃や した国は日本だけです。チェルノブイリ事故の時の放射能が日本の土から見つかっているぐらいです。現在でさえ福島から放射能が飛び続け、 いろいろな形で放射性物質が 世界のあちこちに運ばれ ているのでは?危惧しています。それなのに放射能がれきをこれ以上日本で燃やしてしまったら、 世界中に放射能がバラまかれ どんな影響があるのだろうか?と、とても心配 です。

福島 を含む東日本では「放射能.避難.保養」などの話ができにくい状況です。避難するにしても、特に関東では戦時中の非国民のような気持ちで故郷を後にすることもめずらしくないのです。放射能の被害が出ているにもかかわらず、国がそれを殆んど公表しないからです。日本全国で、国や放射能と闘ってている 方々がいます。でも日本全国をみると ごく一部です。
マスコミが日本が財界が真実を伝えてくれないから です。行政でさえ真実を知っている方はごく一部です。


英語圏の皆様へ、全世界の皆様へ五つのお願いがあります。

一つ目*どうか「皆さんのお国を守って下さい」皆さんの国を守ることは、世界を、日本を、守ることにつながります。

二つ目*「保養」チェルノブイリでも1ヶ月間 放射能の心配のない所に保養に行った子供たちの体内の放射能が50%から70%少なくなると言われています。どうか子供たちに保養の機会を与えてくださいますように、お願いいたします。
私たち避難者は子どもを守るために 母子避難をし、父母や働きざかりの夫を被災地に残してきているものがほとんどです。私達は「夫が原爆ブラブラ病 になり、働けなくなったらどうしよう?!」とい
う不安と隣合わせで生きています。広島 長崎では原爆投下の放射能の影響により何もする気力がなくなり 働けなくなった方々 が大勢いました。
ですから、大人の保養も必要だと考えています。日本の各種産業の技術者を研修や技術 提携などを兼ねて、保養させて頂きたいのです。
農業.酪農の技術者(日本の有機農家の作る野菜は一度食べたら忘れられない素晴らしいおいしさです!!).

それから医療関係者.介護者が倒れたら、日本はおしまいです。
今までも数が少なかった上に、原発事故以降、被災地を離れる医療従事者、介護者が増えたのです。保養できるようになれば 被災地 で働く医療関係者も増えるのではないでしょうか。

三つ目*「シアノ バクテリア」地球が創成された頃からいたのではないかと言われている、何処にでも居るバクテリアです。私の家の玄関にもいます。このバクテリアは放射性物質を取り込む性質があるようで、これが居る所は他とはとんでもなく桁外れの放射能が測定されます。このバクテリアを大量に増やして放射能を集め、安全な地域を増やすことができないでしょうか?!除せんが必要と考えている方々が被災地にいらっしゃるのは確かなので、除染費用も大幅に抑えられるのではないでしょうか?

世界中の研究者 科学者の方々に この話 を広めてくださるよう お願いいたします。

四つ目*原発や放射能の影響から世界を守るために、私たち被災者の声を世界に広めてくださいますようお願いいたします。五つ目皆様より日本政府などへ要望して頂きたい事があります。①食品の放射能の汚染の暫定基準値をさげて、尚且つ、測定する際の下限値もできるだけ0に近づけるようにしていただきたい。②日本全国に放射能測定器が設置されるように、要望していただきたいです。被災地にも安全な食品があります。避難するしないに関わらず、放射能の移行の少ない農作物を作っていくなど、工夫出来るようにしていきたいのです。(そして日本政府の連絡先など も載せて、皆様に気軽に、行動して頂けたら〓〓と思っていました。)日本国内を厳しくすることにより外国に輸出される物も更に安全になるようにとの思いです。いままでの皆様の国は誰が作ってきたのでしょうか?政治家や一部の財界人だけが作ってきたのでしょうか?いいえ、その方々と共に、国民の声を反映させながら 皆様の国を作ってきたのではありませんか?私たち一人ひとりの力は小さいかもしれません。しかし その声が集まって 今の皆様の国
を作ってきたことを忘れずに、ご自分の家族を祖国を守る行動をして頂ければ、幸いです。有難うございました。Taking Refuge from Fukushima
Yukimi Hagiwara(Kyoto・Japan)
                Condensed Japanese and translated by Women’s Messages
                 
My two children and I were going to stay in the airport in order to take refuge and travel from Fukushima prefecture to Osaka prefecture in March 2011. I was very uneasy, wondering, “how many would we have to wait in the airport”.
The next morning, after a sleepless night, I saw people standing together in the airport, who looked Russian. I soon realized they were the very people who rushed to our aid days earlier with the tsunami and nuclear disaster. I passed by them unable to even say “hello”. Although we did not speak the same language and we did not share a means of communication, I felt so ashamed almost immediately. I should have found a way to say ‘thank you’ to them from myself, and the people of Japan.
Happily an opportunity arose and we were able to leave Fukushima on a plane going to Nagoya. We luckily got on an earlier flight. Later we went to Osaka.
All the airport staff treated us with kindness and smiles. Among them “there undoubtedly were some who wished to leave along with the rest of us, but they held up stoically waiting patiently”. They were unable to leave and the thought made me tremendously sad and wrung my heart.
When we finally arrived in Osaka I felt clearly blessed and was happy to breathe the fresh air. I could finally breathe freely away from the fear at last.
In the early days in Osaka, I cried every day with relief just looking at the flowers, or watching TV programs. I was happy to be alive and somewhere safe. The summer after we left Fukushima prefecture, I found a flyer one day advertising a ‘radioactive and safe meal’. I felt I had wasted my time with all my crying. I went to the city hall to see what the flyer was about. The Kansai Electric Company and the Clean Center along with other people were there. Meeting them shocked me intensely. The people’s attitude of Western Japan seemed to be saying ‘it’s someone else’s business not mine’. I wonders if it is right for Japanese people to feel this way when so many foreign counties who have nuclear plants are rethinking their continued existence.
Then I thought the experiences of the Fukushima suffers might be indispensable. Those experiences might be able to become one of the powerful elements to help construct a safer world. Since that meeting, I have tried to speak out and tell people in many places about our ordeal. I believe that I am doing good for not only my family and also for the people of Japan and perhaps, for all the people of the world. If nuclear power plants continue to exist, one day other people of Japan might have to live through the dilemma my family has had to endure.
My hope is for an ordinary daily life to come again for my family, for my husband and my two children, to be together. This past winter my children suffered terribly from chilblains; an inflammation of the hands and feet caused by exposure to cold and moisture. If, we had not had to live through the Fukushima disaster, they would never have been exposed initially. Their recovery was slow and they suffered terribly. My big toe nail fell off at the root.
I fear Japan seemed to be polluted more and more and possibly much of Japan is contaminated by radioactivity. Immediately after the earthquakedisaster, foreign governments seemed to have made various proposals to our government. But our government did not accept their proposals. Both American and German governments sent messages, which were treated as if they had never have been received.
A friend of mine serving under the Self-Defense Forces told me this information. We were all sharing personal things in the moments before our escape. She also told me of the 86 symptoms caused by radioactivity. They say physicians in Fukushima are now very busy treating these 86 symptoms.
I wish to inform you that I am filled with anxiety. I worry, ‘What if our children are discriminated against in the future because they originally were natives of Fukushima prefecture and what if their babies may not be born without deformities’. For these reasons I want to tell these stories to the world.
I would like all people, to understand the victims’ indescribable agony and lifelong worry. We want to live with our family members, all together.

I am trying to tell you the facts and doing so may protect your future. Protecting your future lead to protecting disaster struck areas and the many families impacted too. All of you become a light to protect the families of Japa...
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  1. 2013/11/26(火) 22:34:04|
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