福島から京都に避難して

3.11の原発事故で、福島から大阪、そして京都に母子避難しました。その体験を伝え歩いています。

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嬉しい事&福島の村田弘さん の原発民衆法廷の意見陳述書

先日、凄く嬉しい事が5つ以上、有りました。

私のお話し会に来て下さった、お母さん二人が、大阪市役所への申し入れに来て下さった事。

また、ご縁させて頂いた方が、関電前行動に来て下さった事。

東大阪の J さん、心強いコメントを有難うございました。

京都で、私のお話し会を開いて下さったY さんが、食べ物の安全性をもっと追及しする為に行動していかれるそうです。

避難移住者達の手記を手に、隣近所から署名を100名分集めて下さった、80何歳の頼もしいおじいさまがいらっしゃいました。

皆さんに出逢えた事に、感謝です。

明日もまた元気を出して生きて行けます。
有難うございました。

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今日から数回に分けて、村田弘さんの「原発を問う民衆法廷、大阪法廷での意見陳述」を所々抜粋の形で連載させて頂きます。ご存知の方も、宜しかったら、もう一度胸に刻んで頂けましたら、嬉しいです。

村田さんは、原発が 制御不能のになった2011年3月11日当日まで、原発から1 6キロ地点の南相馬市に住んで、農業を営んでおられました。
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意 見 陳 述 書

2012年2月25日

申立人 村田 弘
12日の1号機水素爆発に伴う政府の避難指示により、13日から 17日まで30キロ圏内にある南相馬市原町区の石神中学校体育館に 避難していましたが、南相馬市の勧告に従い栃木県那須郡那須町の知 人宅を経て19日未明、長女の住む川崎市に避難、さらに横浜市旭区 にある神奈川県住宅供給公社上白根共同住宅に入居、現在に至ってい ます。

2 私の住んでいた南相馬市小高区を含む20キロ圏内の2市7 町村では直ちに主要道路に検問所が設けられ、立ち入りを制限されま した。さらに4月22日には災害対策基本法に基づく「警戒地域」に 指定され、2万8千世帯7万7千人余の住民が強制的に排除され、着 の身着のままで全国各地で避難生活を送ることを余儀なくされまし た。 あの日から、あと2週間で1年の月日が経とうとしています。 政府は昨年12月16日、野田首相が原発の「収束状態」宣言を し、1月には放射性物質汚染特別措置法に基づき、年間被ばく線量2 0ミリシーベルトを境に「避難指示解除準備区域」と「居住制限区 域」に、50ミリシーベルト以上の地域は「帰還困難区域」に分断し て処理をするという方針を発表しました。 しかし、被害の実態は放置されたままです。だれがその全容を把握 しているのでしょうか。原因の解明も遅々として進んでいません。こ の大惨事を招いた責任の所在については、法治国家としての当然の追 及の動きすらありません。これは、いったい、どうしたこと
でしょ う。 私は、普通の人々が望む正義が守られ、貫かれ、普通の人が普通に 生きられる社会の実現を願い、
私の体験をもとに、以下、3つの点に ついて申し述べさせていただきます。

2 第一 人々の生活を破壊し、人の命を奪った罪 第1点は、今回の事態の中で、多くの人々の命が奪われた、という ことです。いくつかの例を挙げます。 避難している途中の3月18日、私は近所に住んでいた知人から電 話を受けました。「かあちゃんが死んだ。冷蔵庫で氷を造り、冷やし ながら火葬場が空くのを待っている」というものでした。 86歳の病弱な母親を気遣い、自宅で見守っていたが、避難騒ぎの 中で容態が急変、亡くなったということでした。

・・・・・続く
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  1. 2012/11/12(月) 23:48:07|
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